2004年から続いた、落合監督のドラゴンズは、日本シリーズ第7銭で終わってしまった。
2004年か05年かか、神宮球場のレフトスタンドで試合を見ていて、
「あぁ、外野手ってこんなに位置を変えたり、すぐ動き出せる態勢を取っているんだ…」
と、思ったことがある。確か英智。
特にスタジアムでは2004年から2007年までを一番見ていたのだが、ディフェンスの面白さを堪能させてもらった。
福留+アレックス+英智の外野守備とか、ファーストウッズ→渡邊&ピッチャー岩瀬の”ファイナルフォーメーション”とか。
いつかの横浜スタジアムで、岩瀬が打たれて同点になった後、10回表にその渡邊が打って自分たちの周りから(夜10時を過ぎて応援団があまり活動していなかったので)渡邊コールをやってみたり。
それ以外にも、2006年の東京ドーム、セリーグ優勝決定戦や2007年、CS 2ndステージ、荒木→井端のプレーや、川上のバスターとか。面白い!というゲームをたくさん見せてもらった。
2007年にJr.が産まれた故、以降はなかなか参戦できず、今年、落合監督ラストイヤーということで東京ドーム3連戦+横浜スタジアムに行くまで短期間にまとめて現地観戦というイベントをできなかった。そして、4連戦を観戦して(結局1試合も勝てず)分かったこと。
「これは見る側にも忍耐が必要なチームだ。いつの間にこうなったんだ」
とにかく打てない。チャンスが1試合に1回か2回で後のほとんどが3者凡退。多分、福留が抜け、ノリが抜け、代打の切り札になった立浪も抜け、チームのバランスがどんどん守備重視になっていったのだろう。ピッチャーは吉見が出てきて川上の代わりにはなったけど (( このCSまでは正直信用してませんでしたが ))。それでもその1回か2回のチャンスをモノにして勝ってしまうチームはすごいのだが。
結局、就任時の公約の一つにあった「生え抜きの4番を育成すること」ができなかった事が全てだったか。
育成できない故、投手陣に、特にココ2年は負担を掛けすぎてしまった気がする。
確かに守備ができることは大事で、守れなければ打てないし、ホームは絶対的に守りが優先される球場なんだけど、それでも、打てなさすぎだ。
今から考えると、落合監督のターニングポイントになったのは2008年なんだろう。日本一を取った次の年。
結果的にも最悪の3位(最悪でこれというのも凄いが)だったが、オリンピックに選手を出してそれがオリンピックの成績に響いたのが痛かった。この成績の悪さから2009年のWBC辞退につながり、結果としてドラゴンズ・落合監督が悪者扱いになり、チーム全体からのサポートも悪くなって結果的に戦力も補強できず、戦略による勝利を求め始めてこうなってしまったのでは。あくまで想像ですが。
戦略だけでは、何度やってもCS勝ち抜けないから気が付いたら圧倒的な戦力を持ってしまった、オーナーが胴上げされちゃうような一体感を持ったチームには、最後の最後に勝ちきれなかったのか。 (( ま、落合監督の最終戦の戦い方は最後まで改善されなかった気もするが ))
結局、ホークスもエース級は打てないんだから、吉見がもう一人必要だったか、というオチになりますが。
2006年も川上が二人欲しかった、なんて思っていましたが。
やっぱダブルエースが短期決戦には強いよな、ってここまでの議論をすべてひっくり返す結論かよ!
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で、来年の高木監督なんですが、監督が誰であろうと、この8年メンツの変わらなかった選手を入れ替えるのは大変だと思います。
だから監督がどう変わろうが、来年もこれからも応援すると思います。
だって、好きなのはドラゴンズなんだし。
モバゲーだからファン止めるとかいう人いるけど、僕は絶対できません。
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