始めに言っておきますが、僕はドラゴンズファンです。面白いという話を聞きつつ、でも買うか?と自問自答していたら図書館で入っていたので、そそくさと予約。割と先約が多く、ようやく読むことができました。読みながら、この文体は・・・と思って調べてみると、筆者、Number Webの「野次馬ライトスタンド」を書いている人だったのですね。 ((まぁ、中野渡の口調を読んで、確信したわけだが))
最近読んだ「野球モノ」の本ではかなりの良本。個人的には「東京ジャイアンツ北米遠征記」や「最弱集団 高橋ユニオンズ青春記」に並ぶインパクトがあった。でも、この2冊と圧倒的に違うのは、筆者がこの「チーム」の根っからのファンだということだ。どう書いたって、チームへの愛が溢れてる。この”チームへの愛”、忠誠心ともいうのか、持っている人には分かるが、持っていない人には絶対に分からないキーワード。でもベイスターズ愛はドラゴンズファンの僕としても大変だと思う。何せ弱いし、チーム名も本拠地も変わっていて、「ドラ」「虎」「巨人」「燕」とか一言で歴史を表現できないし。
でも、思いだけで書いていない。現役選手、OB、元社長やフロントにもインタビューをして、「ホエールズ/ベイスターズが繋いできたものは何か、逆に繋げられなかったものは何か」を探ろうとしている。何気に谷繁のインタビューが多くてびっくりした。ちゃんと最後に「協力:中日ドラゴンズ」と書いてある。これ、Join usの時期だから許されたのであって、今だったら取材お断りなんだろうな、ていうか監督になっちゃったからな。
そのホエールズ/ベイスターズらしさ、そして何故38年ぶりに優勝して、そこからあっという間に最下位トンネルに突入した理由は、読めばなんとなく分かるのだが、ベイスターズになってから、悲しい伝統が追加されていることは、気が付かなかった。
何気に、構成が上手い。’98年、日本一の瞬間と、そこから上位を守れず下位に沈んでいく過程の途中で、突然ホエールズ草創期と最初の優勝に時間軸が巻き戻り、38年ぶりの優勝が見えた、でまた時間が一気に進む。優勝直前の空気と最下位泥沼を繋ぐポイントは、監督が大矢であったこと。逆に言うと監督以外の周りは、チーム名と本拠地以外、何もかも変わってしまっていて、過去の栄光には切り札の監督をもってしてもできなかった。という事実がわかってしまう。悲しい。
そして、話はDeNAベイスターズになって、2013年シーズンを迎えたところで終わる。個人的にも夏に横浜スタジアムに行ったときには、スタジアムがより地域密着というか、ファンを意識したスタジアムになろうとしていて、とても好感が持てた。このまま続けていけば、良くなるんだろうなぁ・・・と思っていたのだが、何かオフの聞こえてくるニュースを聞くと、伝統は簡単には無くならないのかなぁ、という気もしてくる。
それにしても、ここまで前向きに書ける人が、TBS時代の後期については「書く筆を持たない」・・・って、いったいどんな状況だったんだ。恐ろしい。
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